私は二度、いじめを経験した。
最初は、小学六年生の頃である。「死ね」「死ね」「死ね」の嵐だった。腹が立つと「死ね」、気に食わないと「死ね」。言っていた彼ら彼女らにとっては挨拶程度と思っているのかもしれないが、この一言で私の人生が暗黒に染まった。耐えられなかった、この言葉に。何もしていなくても言われる、言われる、言われる、の繰り返し。次第に私は精神を病んでいった。だが、唯一心の支えになったのは親と二人の友人だった。私はそれらの存在に命を助けてもらったようだった。「助けて」と言ったとき、どちらも否定せずに聞いてくれた。親は「行きたくないなら行かなくていいよ」と言ってくれた。友達も全力で支えてくれた。今ここで感謝しよう。ありがとう。
だが、いじめの勢いは増していった。元から『学級崩壊』していたため、そこそこは気にならなかったが、想像よりもひどかった。
授業中は遊んだり、邪魔をするのが当たり前。ろう下では乱闘。散々だった。「死ね」という言葉だけでない。「キモい」「ウザい」など。私は背が低かったため、「チビ」とも言われた。うんざりだった。言われる度思った、「死にたい」と。精神がもたないと悟った私は不登校になった。中学校も一緒は流石につらいと思い、中学受験をした。別の中学校に行けば変わる、と思ったが、この選択が悪夢の始まりだった。
最初の授業は、レクリエーションみたいなものだった。友達ができて楽しい授業だった。あの日までは。急に2人の友達から避けられ始めたのだ。私が近づくと逃げるように立ち去られ、目が合えばそらされる。元々友達が少ない私は一人ぼっちになった。グループが出来ていたため、独りなのはほとんど私だけだった。周りの笑い声を聞くたびに耳をふさぎたくなった。「つらい」「つらい」「つらい」、また私は不登校になった。今現在も不登校である。
世の中にはいじめを受けている人といじめを行っている人がいる。今からその人たちにメッセージを送ろうと思う。
いじめを行っている人へ。もしかしたら悪気はないのかもしれない。だが気づいてほしい。何気なく言った言葉がナイフとなり、その人に刺さってしまう。だから早くいじめかもしれないと気づいてほしい。
いじめを受けている人へ。理不尽な当たりを受けながらも辛い日々に耐え抜いていることはとてもすごいことだと思う。最初話した私のいじめより重いのかもしれない、もしかすると軽いのかもしれない。だが、これだけは分かってほしい。「死ぬな」。死にたいと何度も思って辛い思いをしてきたと思う。だから、周りの人に弱音を吐いても良いと思う。
私はまだ、中学一年生だから「死ぬな」なんて言える立場ではないと思う。だが、いじめによる自殺者はこの世の中にはたくさんいる。そうなってしまった人は誰にも相談できずにいたんだと思う。そんな人をもう出してはいけないと心から思う。
最後に、いじめを受けている人へ私なりの乗りこえる方法を伝えようと思う。まず大事なのは信頼できる人に相談することだ。助けを求めるのは決して恥ずかしいことではない。だから、誰かを頼ってほしい。もう一つは、言われた言葉を真に受けないことだ。「死ね」と言われたとしても、本当に死んでほしいと思って言っているわけではない。だからこそ「死ね」などといわれても本当に思っているわけではないんだな、と思うことが大切だと思う。今はとても辛い時期だと思う。他にもいじめを受けている人がいるだろう。その人たちと共に辛さを乗り越えよう。
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